皆さんは楽器を演奏するとき、楽譜を見るでしょうか?また、楽譜を見ながら演奏している人を見てどう思いますか?
例えば、クラシックピアノの演奏会で、ピアニストが楽譜を見て弾いていても違和感を感じる人は少ないと思います。一方、ギターの弾き語りのライブで同じ状況だと、何となく伝わってくるものが減っている気がします。
このブログは、楽譜を見ながら弾き語りをするのを否定するつもりは毛頭ありません。できたての新曲でまだ覚えきれてない時、普段やらないカバー曲をやってみたかった時、、色々と楽譜が必要なことはあると思います。
それよりも、同じ楽譜を見ての演奏でも、クラシックピアノではOKで、ギター弾き語りはNGだと感じる理由が知りたくて、少し考えてみた次第です。
楽譜を見て良いとき、悪いときの具体例
楽譜を見て弾いても良さそうな例を挙げてみます。
- クラシックピアノの演奏会
- オーケストラのコンサート
- 合唱コンクールの伴奏
- レコーディングしている時
逆に、悪そうな例を挙げてみると
- 弾き語りの時
- ロックバンドのライブ
- 歌番組に出ているアーティスト
- ミュージックビデオへの出演時
何となく共通点が見えてきました!
楽譜を見て良いときは、演奏する行為自体が重要ではないときです。
クラシックピアノの演奏会
→作曲家の作品に演奏家の色をつける
オーケストラのコンサート
→大人数で構築された音楽を楽しむ
合唱コンクールの伴奏
→主役は歌
レコーディングしている時
→録音されたものが良ければOK
逆に悪いときは、音だけでなく、身振り手振りのパフォーマンスも魅力の1つとなっている時と言えそうです。
演奏している姿を思い浮かべると、前者(良いとき)は、見る人に向かって横や斜めの方向を向いていることが多く、後者(悪いとき)は、正面を向いていることが多いです。正面を向くのに、楽譜を見ようと譜面台を立てると、パフォーマンス以前に見る側の視界が遮られてしまいますね。
言葉と文字に例えて考える
ギターのフレーズを覚えるのは言葉を覚えるのに、ジャムセッションは楽器同士の会話によく例えられます。では、楽譜を台本や原稿とすると、今回の見る見ない問題はどうなるでしょうか?
アニメのアフレコや外国映画の吹き替えでは台本を見ます(完成した作品が大事)。ドラマや舞台では俳優さんは台本を見ません。
朗読会では原稿を読みます(観客は聴いて創造を膨らませる)。選挙演説は何も見ずに自分の言葉で訴えかけます。
絵本や紙芝居を読むときは文字を追います。今日の出来事を家族に話すのにメモを読んだりはしません。
類似するところが沢山ありますね!
さいごに
いかがでしたでしょうか?
楽譜はとても優れたものですが、見ない方が多くのことを伝えられることがあります。
近年は、紙の楽譜ではなくタブレット端末を利用している方もちらほらおられ、その(スマホを触っているかのような)見た目の私的さも気になることがあります(←ペーパーレスの時代、古い考えで改められて行くのでしょうが、、)。
逆に、楽譜に慣れ親しんでいない方は、その読み書きができれば文字を扱うように世界が格段に広がります。
どちらが良いかではなく、より良い音楽を届けるためにベターな方法を選択できるようにするのが重要ではないでしょうか。
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