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口パク・当て振りについて思うこと

あらかじめ用意しておいた音源に合わせて、あたかも今歌っているように見せる口パク。そしてそれの楽器版の当て振りへの風当りが、昔よりも強くなってきている印象があります。しかし、口パクや当て振りを糾弾しがちな我々は、逆にそれらの恩恵にあずかってきたのではないでしょうか?

口パク・当て振りまかりとおらない

 

一昔前までは、テレビの歌番組は口パクが結構な割合を占めていたと思います。

 

もちろん口パクかどうかを判断するために見てないので、正確な所は分かりませんが・・。

 

それほど歌唱力がない歌手でも、常にレコードやCDと同じクオリティで歌っていたような記憶がありますよね。

 

 

 

しかしここ最近は、あからさまな口パクはかなり減ってきています。

 

恐らくそういった情報がすぐに回る世の中なのでうかつに口パクで済ませるわけにもいかず、製作者側も色々と考慮してるんだと思います。

 

また、見た目だけではなく本当にその人がその場所で歌っている実感が欲しいというリスナーの嗜好の変化もあるかもしれません。

 

当て振りに関しても、録画の(生放送でない)番組ではきちんとバンドメンバーが演奏しているケースが多いです。

 

 

 

この流れは喜ばしいことかもしれませんが、完全に口パク・当て振りが悪というのはちょっと違う気がしています。

 

考えてみると、口パク・当て振りだからこそ成り立っていることもたくさんあるのでは?

 

すべてが生歌・生演奏になったら、これまでと同じように音楽を楽しむことができなくなるかもしれません・・。

口パク・当て振りだからできること

 

口パク・当て振りでまず思い浮かぶことと言えば、つたない歌や演奏を隠すことだと思います。

 

もの凄くカリスマ性のあるアーティストなのに歌が安定しないときとか、楽器も弾けるアイドルグループとして売り出したいけれど、どんな状況でも安定して演奏できるほどのスキルはないときとか・・。

 

口パク・当て振りを使うことで、歌唱力や演奏能力以外の部分を活かして活動することができますね。

 

そんな人達のファンは、別に歌や演奏に重点を置いて聴いてないことも多いので、あまり問題にならないと思います。

 

 

 

もし歌唱力に問題がなかったとしても、口パクを使うことはありえそうです。

 

例えば歌と同時にダンスパフォーマンスをするような場合、ダンスの部分は目に見えているのでサボることができません。

 

ここで歌もすべて生歌となると、1曲を完成させるだけでももの凄い練習量が必要だと思います。

 

次々と新しい曲をリリースするなんてことは難しそうですね。

 

さらに1曲でかなりの体力を消耗するので、ライブでは曲間の休憩が長めに取られてテンポが悪くなるかもしれません。

 

 

 

そこで、歌の方を口パクにすれば負担も減ってダンスの方にも集中できるようになります。

 

私がライブに行ったあるアーティストは、生歌の曲と口パクの曲のどちらもあった感じでした。

 

おそらく曲調や動きの激しさ、前後の曲との関係(セットリスト)によって、生歌と口パクを使い分けているのだと思います。

 

 

 

ダンス等の動きがない場合でも、ライブで2時間以上歌い続けるのはかなり身体に負担がかかるのではないでしょうか。

 

口パクを使って負担を減らすことで、ライブツアーの中日(なかび)を減らしてライブすることもできそうです。

 

そうすると我々が購入するチケットの値段も少し下がったりという、大人の事情も様々あるのかもしれません。。

一方当て振りで思い浮かぶのは、テレビの生放送の歌番組です。

 

起こったことがそのまま放送されるので、機材トラブルや演奏時間に幅があったりする生演奏はかなりリスキーだと思います。

 

演奏時間の方は、時間が管理されたクリックを聴きながら演奏すれば大丈夫かもしれませんが・・逆にそれでは生演奏の良さが薄れますね。

 

もちろんすべての番組が当て振りではありませんが、歌よりバレにくいので有効に活用されているはずです。

 

 

 

口パク・当て振りでなくては絶対に成り立たないのが、ミュージックビデオですね。

 

曲のプロモーションビデオと言った方が分かりやすいでしょうか。

 

例えば見た目にインパクトがある浜辺とか岩山で歌うような映像があったとしても、その場で録音した音が流れているわけではありません(実際にやったら雑音が凄そう!)。

 

演奏の方でも見た目重視なので、もはや流れている音が再現できるような弾き方をしていないことも多いと思います。

 

しかし、口パク・当て振りだということは別にどうでも良く、見て聴いて楽しめますよね。

口パク・当て振りの今後

 

ここまでで、口パク・当て振りは単なる悪ではなく、我々リスナーの需要を満たすように利用されていることが何となく分かってきました。

 

このブログで書きたかったのは、別に生歌・生演奏主義へのアンチテーゼとかではなく、これまで恩恵にあずかってきたことを忘れ、自分自身もただ批判するような思考になっていないかな?ということです。

 

 

 

このまま評判の良くない口パク・当て振りはなくなっていくのでしょうか?

 

曲の一部だけ口パク・当て振りを使うようなハイブリッドな形になったりするんでしょうか?

 

生歌・生演奏でないとパフォーマンスできないような法律が出来たりするんでしょうか?

 

それらは、音楽を見たり聴いたりする我々リスナーの考え方ひとつで変わってくるのかもしれません。

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