
「自分らしく生きる」とか「個性を重視した教育」とかが言われ出して、もう数10年は経つと思います。それ自体は悪くないと思うのですが、個性を言い訳の材料に使ってしまってるケースも多い気がします。今回は自戒の念と若干のグチが混ざったモヤモヤ話です・・。
「個性逃げ」を意識したきっかけ
少しだけ音楽と関係のない話になるのですが、我慢してお付き合い下さい・・。
特別珍しいことではないと思うのですが、一時期家族以外の人達と共同生活していたことがあります。
ひとつ屋根の下で、寝室以外の生活スペースは共有という感じですね。
同居していた彼らは、一緒に住む前は特別おかしな所はありませんでした。
しかし、いざ一緒に生活してみると外ヅラからは想像できないくらい自堕落な生活をしてたんです!
詳細は別ブログを立ち上げて書き綴りたいくらい色々あるのですが、ここではご想像にお任せしておくことにします・・。
とにかく、不精な私がこれはあかんやろ・・と思うくらいの状態でした。
そんな同居人達なのですが、本人達は普通に生活していると思っています。
当然そのままにしておいても何も改善されることはありません。
そこで余計なお世話ですが、同居してから結構早い段階で私が共通の知人を通して、間接的に改善してもらおうと働きかけました(直接は言いづらい立場でした)。
その共通の知人から言われた言葉が強烈でした!
「彼ららしさを大事にして見守ってあげたら?」と言われたんです。。
確かに長年続けている習慣をすぐにやめたりできません。
しかし、このままでは確実に(すでに?)体を壊してしまうような生活をすることが個性でしょうか?
何かあってドクターストップがかかるまでは、個性を尊重してあげるべきなのでしょうか??
よく聞いたら、共通の友人も生活改善のために色々と働きかけていたのですが、効果もなかなか出ていないようでした。
そのこともあって、前の発言に至ったのかもしれません。。
そこで、言ってダメならやってみせる作戦に出ることにしました。
おこがましいですが、自分が見本になれるように面倒なことや嫌なことは率先してやり、普段から襟を正して生活することにしました。
その効果はと言うと・・少しはあったのですが油断するとすぐもとに戻ってしまい、根本的には変わりませんでした。。
逆に、それまで隙あらば寝転んでゲームしてたような私の生活は、彼らを反面教師にして大分ましになりました・・笑
音楽での「個性逃げ」
何故こんな話をしているかと言うと、音楽では「個性逃げ」して停滞することがよくあると思うからです。
特にボーカルや曲作りに関して、それが顕著ではないでしょうか?
人の声は目を閉じていても違いがわかるので、それだけで個性的です。
しかし、誰しもが人の心を動かす歌を歌えるかというとそうではありません。
なので、例えば「良い声ですね」とコメントされてそれで満足していると、そこから何も進みません。
曲作りに関しても同じで、(普通は)既存の曲と違うものを作るので、それだけで個性的です。
しかし世の中には名曲がゴマンとあるので、同じ時間を使うならそちらを聴きたいと言う人がほとんどではないでしょうか?
真の意味で個性的な曲は、単にメロディーやコード進行が既存曲と違うだけではないと思うのは私だけではないはずです。
このあたりの「違い」と「個性」のはき違えが起きると、最低限必要なこともおろそかにしてしまいます。
例えば練習であったり他の人の曲を聴いたりといったことですね・・。
別に努力しなくても個性的だから大丈夫なんだという謎の安心感を生んでしまっていて、ほとんど何も進歩がない状態になってしまいます。
昨今の個性重視の世の中の傾向は、そんな勘違いに拍車をかけていないでしょうか・・。
自分達をかばうわけではありませんが、楽器のプレイヤーはその点案外ストイックに努力を続ける傾向があると思います。
同じ楽器だと当然同じような音が出るので、楽器への取り組み方がすぐにばれてしまいますもんね・・。
その分、歌と違って楽器は辞めてしまうケースも多いとは思いますが。。
ギターに関しては、見た目や音色や弾き方でかなり色々なことが出来るので、どちらかというと個性逃げしやすい方ではないかと思っています。
私自身にも思い当たることがいくつかありますし・・。
「違い」を比較的容易に生み出せるものの、同時に楽器として扱う練習も続けなくてはならない、何とも精神力が試されるのがギターという楽器!という感じですね。
ただ、その辺りがまた魅力で、多くの人に愛されているのかもしれません。。
自戒の念を込めて書くつもりが、半分以上が愚痴だった気もします・・。
クドクドした文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。
私もまた自省して頑張っていきたいと思います。