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草野球に見る理想のセッション像

最近、野球にハマっている小学生の息子と、良くキャッチボールをするようになりました。広い公園でやるので、同じように野球をやっている子供達も周りにいます。たまに誘われて草野球に発展することがあるのですが、同じルールを通じてコミュニケーションが取れなんて、音楽と通じるものを感じます。しかし、意外と子供達の草野球の方が、理想的な形ではないかとも思いました・・。

草野球といっても、チーム同士が戦うような大層なものではなく、その場で練習して(遊んで)いる子供が何人か集まって、試合の真似事をやるような感じです。

 

ピッチャーとバッター以外は状況に応じて決めて、ベースやファウルゾーンはあってないような、軽いノリのやつですね。

 

 

 

このような草野球は、気軽に他の人と合わせて演奏する「軽いセッション」に似ている気がします。

 

普段は顔を合わせてない人間同士が、一定のルールに従って一緒に動く所に、共通点が沢山ありそうじゃないでしょうか?

 

 

 

子供の草野球の方を初めて見た時は、皆が思い思いに、でたらめにやっているように見えました。

 

しかし何度か一緒にやってみると、野球のルール以外にも独自の不文律に基づいて動いてることに気が付きます。

 

楽しく野球ができるように、自然と統率が取れているようなイメージでしょうか・・。

 

 

 

例えば、ある程度人数が集まった場合でも、その場にいる全員に役割が与えられます。

 

5人いたら、ピッチャー、キャッチャー、バッター、守備、審判がそれぞれ1人ずつといった感じです。

 

それぞれの役割の楽しさに差はあるかもしれませんが、仲間外れになって暇な子が出てこないようになってます。

 

 

 

また、役割をローテーションするので、守備でボール拾いしただけで終わるようなこともありません。

 

半ば強制的に譲り合うようなシステムが、全員の総意で機能していると言った所です。

 

この辺り、音楽のセッションの方を考えてみると、草野球よりも自分勝手な行動が多く見られないでしょうか。

 

仲の良い人ばかり参加させたり優遇したりして、関係が浅い人を蚊帳の外にしていないでしょうか?

 

自分がやりたいことだけをやって満足して、さっさと帰ってしまうようなことはないでしょうか?

 

 

 

胸に手を当てて考えてみると、ドキッとすることが多そうです・・。

 

自分に有利になるように振舞うのは、大人のずる賢い所だと思いますが、最終的に自分の首を絞めていることにまで頭が回ってないのかもしれません。

 

やられた方の立場で考えると、嫌な思いをした人やお店には、二度と関わりたくないという風になって離れていきますもんね。。

 

 

 

他にも草野球で「おっ!」と思ったことがいくつかあるので、以降、セッションと対比しつつ書いてみます。

 

そりゃ子供の草野球なので(私達大人の子供時代がそうであったように)、アウトかセーフかでもめたり、バッター役の取り合いになったりすることもあります。

 

しかしそれ以上に、音楽をやってる大人達の方が酷くないか、自省するのは有益ではないかと思います。

ルールを覚えている

 

小学校低学年の子供でも、野球のルールをしっかり覚えています。

 

プロ野球のテレビ中継を見ている間に覚えたのか、入門書を読んだのか、はたまた野球ゲームで覚えたのでしょうか?

 

もちろんストライクゾーンがどうとか、細かいことで食い違うこともありますが、大枠の認識は共通しています。

 

なので何かあっても、細かい部分をその場で調整したり、一時的なルールを決めたりして、すぐにプレーを再開できます。

 

 

 

セッションでは、曲の構成やコード進行を覚えてから臨んでいるでしょうか?

 

ジャンルにもよりますが、最低限の定番フレーズやお約束が頭に入っているでしょうか?

 

知らないことはその場で教えてもらえば良いと思いますが、最初から知ろうとしない姿勢はちょっと違いますね。

練習している

 

子供達は、時間があれば近くの公園に行って野球の練習をしています。

 

実際に野球チームに所属している子もいますが、そうでないただの野球好きの子も多いです。

 

そんな個々に練習して(遊んで)いるのが集まって、たまに試合形式の草野球になる感じですね。

 

 

 

セッションでは・・日頃から楽器の練習をしているでしょうか?

 

練習できてないからと言い訳してから弾き始めたり、練習しなくてもその場のノリで何とかなると思ってないでしょうか?(ああ耳が痛い・・)

 

日頃音楽を聴いていても、アウトプットするスキルが稚拙だと、どうにもなりません。。

 

感性で何とかできそうな気になってしまうのは、芸術ならではの幻想だと思います。

調整する

 

草野球では、例えば全然打てない子がいたら、ピッチャーが下投げにするとか、ボールスピードを落とすとかして、打ちやすくする調整が入ります。

 

また、使えるスペースがあまりない場合は、思いっきり振るのではなく少し弱いバッティングにして、全体のバランスを取ったりします。

 

 

 

セッションでは、状況に応じて音量を絞るとか、空間をあける等の調整をしているでしょうか?

 

自分は調整できないからと開き直ってやっているのなら、ずっと全力で暴投し続けてひんしゅくを買っている子供と大差ない気がします。

 

周囲に配慮する

 

草野球では、近くを他の人が通ったら一旦プレーを止めて作戦タイムにするとか、バントして思わぬ方向に球が飛ばないように気を付けるとかの、気遣いをしている子もいます。

 

取り損ねたボールは近くの別グループの子供が積極的に取ってくれますし、逆に取ってあげたら「ありがとうございます!」ときちんととお礼を言ってくれるような文化が育っています。

 

 

 

セッションでは・・他の人がチューニングしたり、演奏内容の打ち合わせをしたりしているのに、自分の楽器の音を出し続けていませんか?

 

流れや提案を無視して自分のやりたいことだけをやっていませんか?

 

もちろん目立つべきタイミングでは張り切ってプレイすべきですが、それ以外は自分本位の姿勢をやめるべきだと思います。

 

 

 

以上、草野球から理想のセッション像を考えてみました。

 

とにかく"空気を読めば良い"んでしょ?と一言で片付けられそうですが、それでは具体的にどうしたら良いか分からない部分も多いです。

 

どちらかと言うと"お互いを尊重する"と言い換えた方が適切かもしれません。

 

 

 

言い回しが、何だか小学校の校訓みたいになってきましたね・・。

 

しかし、思っていたよりも子供(的)な思考が残っている大人も多いと、歳をとるごとに感じます(自分を含めて・・)。

 

小学校の道徳からやり直せと言われないように、常に自戒する必要があると感じる今日この頃です。

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