
すごく好きで頻繁にチェックしていたブログがあるのですが、最近更新が止まってしまいました。そのブログを書いている方によると、今や何でも動画の時代なので、発信の形態を動画に切り替えるということでした。文章による表現はその役割を終え、動画に取って代わられるのでしょうか?
はじめに
ギターにしても、奏法解説や音楽理論の説明、コラム的な内容からギター関連の雑談に至るまで、これまで文章で伝えられることが多かったものが、動画で配信されるようになりました。
確かに、ギターを弾いている様子や音を確認できるので、動画を使うメリットは色々あると思います。
しかし、すべてが動画になっていくと考えるのは、少し違和感が残る部分もあります。
その辺りを、(影響力は極小ですが)ギターに関するブログを書いている身として考えてみようというのが、今回の主旨になります。
始めに断っておくと、私は別に動画というフォーマットが嫌いではなく、むしろ好きな方だと思います。
実際に、広告が表示されなくなる等のメリットがある"YouTube Premium"に入っているくらいですし・・。
しかも自分でも定期的に演奏動画をYouTubeにアップしています。
一方、今まさに読んでもらっているギターに関するブログも、ずっと書き続けています。
更新ペースは遅いですがかれこれ6年くらいになるので、自分でも良く続いているなと思います。
そんなわけで、動画と文章の両方に関わっている人間の、ほぼ中立的な立場からの意見だと思って頂ければ幸いです。
文章を読むのは面倒?
動画についてよくセットで語られるのが"活字離れ"です。
主に本に対する言葉だと思いますが、広義にはインターネット上の記事や解説などの文章も含まれると思います。
知りたいけれど文章を読むのがだるいので、同じ内容を解説している動画の方を視聴する・・。
これは一見楽で時短にもなりそうですが、実際は逆に動画の方が面倒なことも多いです。
例えば、世界で一番背が高い人について知りたいとします。
動画であれば、その人の基本情報や半生を20分くらいかけて解説しています。
なぜ20分かというと、適度に広告が挟めるくらいの長さで、なおかつ視聴してみようかなと思う絶妙な時間なので、20分を目安に編集をしている動画が多いためです(1時間の動画は軽い気持ちでは見れませんよね・・)。
当たり前ですが、20分の動画は誰が見ても見終わるのに20分かかります。
しかし文章であれば、人それぞれペースで読むことができます。
それに、必ずしもすべての文章を読む必要もありません。
世界一背の高い人の具体的な身長と職業さえ知れれば良いと思っている人なら、一瞬で答えが得られる可能性があります。
動画は文章のように全体をうっすら見つつ飛ばし読みするのが難しいので、再生箇所を自分でコントロールしても、職業について語られている部分を飛ばしてしまうかもしれないですね・・。
ここで、動画を早送りで視聴すれば良いのでは?という指摘もあるかもしれません。
確かに最近は倍速視聴について考察した書籍が出てたりするくらい、普通に利用されている視聴方法だと思います。
先程の"世界一背の高い人"の例やニュースなどなら、知ることが目的なので早送りの視聴も選択肢の1つかもしれません。
しかし、何かを解説している動画を早送りにすると理解が追い付かない可能性が高くなりますし、ましてや音楽は早送りしてしまうとほとんど意味を失ってしまいます・・。
そんな訳で、特定のコンテンツ以外は等速で再生することになりそうです。
動画で情報を得るのは効率が良さそうで、実はかなり回りくどいやり方だと言えるかもしれません。
動画は消える?
動画はアカウントの停止(いわゆるBAN)や、投稿者が自主的に削除することで、消えてしまう場合があります。
私も実際に経験したのですが、投稿者がチャンネル内の動画の内容を統一するために一部を削除したことによって、好きな動画が視聴できなくなったことがあります。
見たい動画が、いつまでもインターネット上に残っているとは限らないということですね。
ただ、これは文章の記事や解説でも同じことが起こり得ます。
問題は、動画にはもう1つの消え方があることだと思います。
それは"ネット上に存在していても見つけられない"状態になってしまうことです。
どんなに検索してもヒットしなくなるので、実質的に消えたのと同じ状態です。
私達が何か動画を探す時には、文字を使って検索することが多いと思います。
ということは、動画の中身ではなくタイトルや概要欄などの文字情報を頼りに探すことになります(結局文字頼みになる)。
YouTubeなどの動画サイトの運営側も色々と工夫しているんだと思いますが、文章の方が目的に沿った検索結果となりやすいのは想像に難くありません。
しかも、動画は長い時間再生して(のべ再生時間を増やして)多くの広告を見てもらえるように、再生回数の多いものを検索結果の上位に出したりする仕様になっています。
ニッチな内容の動画は、例え適切タイトルをつけられていても他の動画に埋もれてしまい、探し出せない状態です。
文章だと、ニッチな情報でもまずまず見つけられる印象があります。
例えば何か工学的な理論の説明を見ていてどうしても理解できない式展開がある時、検索すれば答えが出てくることがあります。
これは、色んな大学の講義資料や学生の卒論などが数多くヒットするからですね。
このような"ロングテール"のメリットをネットで買い物をする時だけではなく、情報を探す時にも得られるのが文章の良さだと思います(動画はテールではなくヘッドの部分が見えすぎてしまう)。
おわりに
動画と文章について、何点か比較して考えてきました。
どちらも一長一短だとは思いますが、これらを組み合わせると弱点が補完された完全体になるような気もします。
例えば何か音楽理論について知りたい時、説明の文章がありつつ、それに対応した解説動画も視聴できるという形ですね。
両方を作るのは大変ですが、このハイブリッド型がベストではないでしょうか!?
でも良く考えると、これって学校の授業のやり方とほぼ同じですね・・。
長々と書きながら、結局古典的な所に戻ってきました。
敢えて結論を書くなら、授業と教科書が今も両方残っているように、動画と文章もこの先共存していくのではないかと思います。
どちらが良いかではなく、状況に応じてどちらを使うか、どう組み合わせるかという選択が、今後大事になってくるのではないでしょうか。